生き様

湘南塾事務局の山﨑です。

各事務局メンバーで担当する週次コラムにて、今回はある一人の野球選手の「生き様」についてお話させていただければと思います。

野球をご存知の方、そうでない方も一度は耳にした事はあるかと思います、元読売ジャイアンツ、そしてアメリカのボストンレッドソックスでも活躍した上原浩治投手をここでは取り上げたいと思います。

現在は、プロで華々しく活躍している上原投手ですが、一見エリート街道を突き進んできたように見えますが、実はそうではありません。高校時代は、元日本ハムの建山投手が同級生でエースピッチャーであったため、3年間控えとしてほぼ登板機会がないまま高校野球生活を終える事になります。

その後、大学進学を目指しますが、受験に失敗。予備校通いの傍ら、夜は道路工事のアルバイト、そして野球選手としてのトレーニングを重ね、1年間の浪人生活を経て、大阪体育大学に進学します。特に、本人が後に、1年間の浪人生活を「あれほど燃えた1年間はない」と語るほど、苦しい状況に置かれてもなお、絶え間ない努力があったからこそ、その後の野球人生に大きな影響を与えたといえます。

大阪体育大学進学後は、阪神大学リーグで、通算勝利数、1試合奪三振数等の新記録を打ち立て、国際大会での活躍もあり、ドラフトの目玉として注目されるようになります。

上原投手のドラフトの年は、平成の怪物といわれた松坂大輔投手がいて、例年よりも注目されるドラフトとなりました。その中で、巨人やアメリカのメジャーリーグの球団含む4球団が上原投手獲得に向け競合し、最終的には巨人に1位指名で入団します。入団時の背番号19は、浪人時代の19歳の1年間を決して忘れないようにとの思いから選んだそうで、たとえスターダムにのし上がったとしても浪人時代の1年間を貴重な財産として捉えるぶれない姿勢は、1人間として見習うべき部分だと感じております。

巨人入団以降は、1年目から先発投手として20勝を上げ、プロ野球の投手部門最高の賞ともいえる沢村賞を獲得する等、また野球の国際大会でもあるWBCでも好投する等の目覚ましい活躍を見せます。日本時代は先発から抑えを経験して、2009年からアメリカのメジャーリーグに挑戦する事になります。

メジャーリーグでも背番号は19のままで、夢でもあったメジャーリーグでの挑戦が始まりましたが、球速が速い投手が多いメジャーでは、先発投手として思うような結果が出ず、中継ぎへの転向を余儀なくされます。通常であればこれだけ実績を残した先発投手であれば、プライドを捨てきれず先発にこだわる投手が多い中で、上原投手は現時点での自分の力量を客観視し、どの位置であれば最大限のパフォーマンスを発揮できるかを考えたそうです。年齢も30を超え、スタミナは落ちてきているけれども短いイニングであれば、最大の武器でもあるコントロールを活かす道はあると考え、中継ぎへの転向を決めます。中継ぎ転向後は、メジャーリーグで2球団で中継ぎとして活躍を経て、かつて松坂大輔投手も在籍したボストンレッドソックスと契約します。

そして、2013年シーズンに、偉業をなしとげます。メジャーリーグの優勝決定戦でもあるワールドシリーズで日本人初の胴上げ投手となり、優勝を果たします。球速もメジャーでもかなり遅く、体格もとりわけ大きくはない上原投手ですが、あきらめない姿勢と自慢のコントロールと変化球を武器に中継ぎ、抑えという新境地で、成功を勝ち取りました。

上原投手の「生き様」から、本人も「雑草魂」と語っているように決してあきらめず、能力がなくて挫折しても、信念を持って、努力を積み重ねれば何事も実現する事を学びました。正直上原投手のドキュメンタリー番組を見なければ、バックグラウンドを知る事はできませんでしたし、あらゆる業界で活躍されている方は、裏で絶え間ない努力を積み重ねている事を再認識する機会をいただけたと思っています。

以上、今回のテーマ「生き様」でした。

湘南塾事務局

山﨑