第16回 湘南塾 公開セミナー報告

湘南塾の脇坂です。

2018年最初の湘南塾の公開セミナーを先日開催しました!

Challenge 2018!をテーマに、今回は「ビジネスプラン」、「課題解決のアプローチ」、「湘南塾ダイエット企画」の3つのテーマでディスカッションしました。

新しい取り組みとして、参加したメンバー全員が発表&ディスカッションという形式をとってみました。新興国で取り組んでいる農業ビジネスモデルや、動物に優しいコスメ、新規事業の立ち上げのチームワーク、今のビジネスモデルに新しいエッセンスを加えるための取り組み、立ち上げた取り組みをどのように広げていくか、についてそれぞれがプレゼンし、参加者同士でフィードバック。

各自5〜10分くらいのプレゼンとその後10分くらいのフィードバックのセットでいけるかな?と思っていたら、やはり、自分が今本気で取り組んでいる内容の発表となると力も入り、気づけば一人あたり30分くらいプレゼンしていました笑

時間は大幅に超過したものの、こういったディスカッションが活発にできるのは楽しかったです。

そして、個人的にとても楽しみにしていた元キックボクシングチャンピオンによるダイエット企画。プレゼンを聞いていて不安になるほど食べない方がいい食品が多く若干不安になりつつも、コーヒーは大丈夫!と聞いて一安心。

でも、やはりお酒はあまりよくないらしいです笑

そして、どういった運動がよいのか?というディスカッションでは、ずばり、狩猟採集民の生活、ウォーキングと短距離のダッシュ、荷物を持って歩くのがオススメと、今まで知らなかった健康法を聞いて、これは実践してみよう!と。

ダイエット企画は、とても興味深かったので、また今度いつか湘南塾で再びお願いしようと考えています!!

次回の湘南塾は2月24日に開催します!

テーマとしては、就職や転職を考えている20代や30代の若い方向けのイベントを企画中です。こちらは、詳細が決まりましたら、湘南塾のFBにてお知らせします。

湘南塾のFBはこちら( https://www.facebook.com/shonanjuku/ )

では、また次回の湘南塾でお待ちしています!

湘南塾の脇坂です。今回は、事務局メンバーでお題を決めて投稿する月次投稿を担当します。

さりげに、毎週の投稿は、各自が好きなテーマで投稿しているのですが、月一で月次テーマが設定されているのです笑

昨年9月の新橋の湘南塾の事務局会合(飲み)で候補に上がった月次投稿の中から、なんとなく、話すのが好きなので「夢」というテーマを選んでみたものの、何を書こうかな、とちょっと考えてみたり。

自分のダイレクトな夢としては、「世界が平和になるような仕事がしたい」というのが一番。

ただ、これだと湘南塾でも何回か紹介させてもらっているし、今ひとつ、読者の心に響かないかなーとも思ったり。

なので、「夢」を「自分がどうやって生きていきたいか」という意味でとって今回のブログをお送りします。今年の湘南塾の目標として、20代や30代の若い人にももっとメッセージを伝えていきたいというものあるし。

自分が大事にしていきたいと考えていることをシンプルにあらわすと、「自分がやりたいと思えることをやって生きていきたい」と。まぁ、これは結局「世界が平和になるような仕事をしたい」とも言える笑

そして、最期、限りある自分の命が終わる時に「あぁ、自分の人生、自分が生きたいように生きてこれて満足だ!」と思えるようにしたい。

でも、自分が思っている以上に、自分がやりたいことをやっている人って少ない気がするのが正直な感想。

例えば、たまに大学生の進路相談イベントに、政府開発援助(ODA)とか新興国とビジネスで関わる仕事をしている人、として参加させてもらう時に、参加者の大学生から「いままでOBやOGに就活にあたってたくさん進路相談をしてきたけど、脇坂さんのように楽しそうに仕事をしている人は初めて会いました。」と言われて、嬉しい反面、みんなそんなにつまらそうに仕事しているの?と残念な気持ちも。その大学生の言っているOBやOGは、聞いたら年齢も20代の若い人たちなのに。

やりたいことを仕事にしていく、というのは簡単ではないとも思う。そのためには、やりたいことを見つけること、そして自分がそれをできるだけのスキルを身につけていること、の2点は必要だと思う。

もちろん、早い段階でやりたいことが見つかれば、それはそれでラッキーだ。ただ、あまりに現実的に自分を見つめすぎて、今の自分にできること、をベースに夢を下方修正とか手の届く範囲に収めてしまうことをしないように頑張り続けられればいいのかな、と。

自分も含めて大抵の経験もスキルも無い若い人のできることなんてたかがしれている。そんな時に自分のその時点のキャパに収まるこじんまりとしたものを夢にしてしまってはつまらないと思うんだよね。

自分にできることをベースにしていたら、中学生の頃から現在に到るまで「世界平和」なんて言っていたら頭おかしい人になってしまう笑 これは、将来、それができるようになるんだ、という自分自身への宣言のようなものだ。

そして、自分を振り返ってみても、ほんとにやりたいことを仕事にできてるな、と感じ始めたのは30代半ばに差し掛かった頃から。

それまでは、やりたいこと(世界が平和になる仕事をしたい)は持っていたけど、それが自分のやっていることとは直結はしているという感覚は弱かった。

でも、そこに到るまでの過程も無駄ではないと思うんだよね。

自分がやりたいことが見えない、やりたいことが決まっていても何をすればよいのか分からない、といったこともたくさんあると思う。

そういう時には、自分のモチベーションをどう持っていくか?が大事だと思う。

子供の頃は可能性は無限にあって、大人になるにしたがって可能性は狭まっていく、という言葉。半分あっているけど、半分は間違っていると思う。

子供の頃は確かにどこに向かっていくか?という点では可能性は広いと思う。でも、大人になったからと言って可能性が狭まるかどうかは本人次第だと思う。それまでの人生の中で積み上げてきた経験やスキルというものを活かせるようにしているなら、自分が目指している方向がある程度見えているのであれば、子供の頃には手に入れられなかった可能性を、大人の自分の方が持っていると思う。子供の頃はあまりに曖昧すぎて、方向性が定まっていないのだ。ただ、時間だけはたっぷりとあるから、自由に方向を決めることもできる点が違うのかな、と。大人になれば、子供の頃には見えなかったものが経験とともに見えるようになってさらに先の可能性が広がっていると思う。

10年以上前になるけど、監査法人で、新人の訓練係をしていた頃に、(仕事の意味が見出せずに)よく道に迷った新人に「新人として配属された今の仕事がやりたいことだと思えなくても、何も考えずにがむしゃらに3年間は本気で仕事してみろ。それで、やっぱり違うと思うのだったら転属でも辞めるでも選べばいい。何も知らないたった数ヶ月か1年しか働いていなくて大した経験もないのに判断なんてするな。」と、まぁ、厳しめな指導というかアドバイスをしていた。この頃、一部のスタッフからは、鬼軍曹なんてあだ名で呼ばれてたな、と思い出したり笑

でも、やりたいことが見えていない人にとっては、将来、自分が本当にやりたいことが見つかった時にそれを選べるようにするために、自分のスキルを高める努力は大事だと思う。一番切ないのは、やりたいことが見つかっても、その時に自分がそれを選択することができない、ということ。

まぁ、やりたいと思えば大抵のことはできると思うけど、近道は自分の基礎的なスキルや経験を磨いておくことだと思うんだよね。

自分が仕事を始めた頃よりもインターネットがさらに普及して、今はいろんな仕事の情報も手に入るけど、特に仕事をし始めた若い人におすすめは「最初の会社で少なくとも3年、できれば5年は本気で仕事をしてみる」ことだと思う。中途半端にころころ転職を繰り返しても、結局自分のスキルは上がらないから、無駄に年を取ることになると思うんだよね。特に新人の頃なんて、初めての仕事なわけだから、学ぶことはたくさんあると思うし。

なんだろ、自分が思うのは、逃げ癖というか、辛いことがあったら、投げ出してしまう変な癖がついたら勿体無いな、と。まぁ、本当にどうしようもなく辞めたいのであれば、次の転職先では絶対に3年は辞めない、という覚悟はあった方がいいと思う。

まぁ、自分が最初のキャリアで恵まれてたんじゃない?と思う人もいるのかな。でも、半分あっていて、半分間違っていると思う。新人の離職率1年で半分が辞めて、3年で誰も新人がいなくなるようなチームだった。仕事も年間の稼働率が140%を確か超えていたと思う。つまり年間でならしても常に毎日3時間くらい残業している状態。全く仕事がない暇な時期が2〜3ヶ月あるのに。繁忙期の稼働率は200%近く。もう一人雇えるじゃん!と思ったり。でも、よいことは、直属の上司がいないから、次から次に新しい仕事を担当させてもらえたこと。誰もいない目の前オールグリーン(青信号)じゃん!と笑

まぁ、こんな精神状態だったので、鬼軍曹と呼ばれたのだろう。

最初のテーマに戻ると、やりたいことをやっていきていけるように、自分自身のスキルを高めるというか、自分が年を取っていく中で、年をとったことが無駄にならないように、精一杯、できることを積み上げていって、自分がほんとにやりたいことを見つけた時に、その時により多くの選択肢を自分が選べるようにしたいな、と思ったんだよね。

ある意味、とっても欲ばりな考え方だけど、だって、20代の頃に自分が何を本気で仕事にしていくかなんて選べなかったんだもの笑

やりたいことをやれるように今をしっかりと生きていこう、これは今も変わらない。

脇坂
湘南塾 事務局

生き様

湘南塾事務局の山﨑です。

各事務局メンバーで担当する週次コラムにて、今回はある一人の野球選手の「生き様」についてお話させていただければと思います。

野球をご存知の方、そうでない方も一度は耳にした事はあるかと思います、元読売ジャイアンツ、そしてアメリカのボストンレッドソックスでも活躍した上原浩治投手をここでは取り上げたいと思います。

現在は、プロで華々しく活躍している上原投手ですが、一見エリート街道を突き進んできたように見えますが、実はそうではありません。高校時代は、元日本ハムの建山投手が同級生でエースピッチャーであったため、3年間控えとしてほぼ登板機会がないまま高校野球生活を終える事になります。

その後、大学進学を目指しますが、受験に失敗。予備校通いの傍ら、夜は道路工事のアルバイト、そして野球選手としてのトレーニングを重ね、1年間の浪人生活を経て、大阪体育大学に進学します。特に、本人が後に、1年間の浪人生活を「あれほど燃えた1年間はない」と語るほど、苦しい状況に置かれてもなお、絶え間ない努力があったからこそ、その後の野球人生に大きな影響を与えたといえます。

大阪体育大学進学後は、阪神大学リーグで、通算勝利数、1試合奪三振数等の新記録を打ち立て、国際大会での活躍もあり、ドラフトの目玉として注目されるようになります。

上原投手のドラフトの年は、平成の怪物といわれた松坂大輔投手がいて、例年よりも注目されるドラフトとなりました。その中で、巨人やアメリカのメジャーリーグの球団含む4球団が上原投手獲得に向け競合し、最終的には巨人に1位指名で入団します。入団時の背番号19は、浪人時代の19歳の1年間を決して忘れないようにとの思いから選んだそうで、たとえスターダムにのし上がったとしても浪人時代の1年間を貴重な財産として捉えるぶれない姿勢は、1人間として見習うべき部分だと感じております。

巨人入団以降は、1年目から先発投手として20勝を上げ、プロ野球の投手部門最高の賞ともいえる沢村賞を獲得する等、また野球の国際大会でもあるWBCでも好投する等の目覚ましい活躍を見せます。日本時代は先発から抑えを経験して、2009年からアメリカのメジャーリーグに挑戦する事になります。

メジャーリーグでも背番号は19のままで、夢でもあったメジャーリーグでの挑戦が始まりましたが、球速が速い投手が多いメジャーでは、先発投手として思うような結果が出ず、中継ぎへの転向を余儀なくされます。通常であればこれだけ実績を残した先発投手であれば、プライドを捨てきれず先発にこだわる投手が多い中で、上原投手は現時点での自分の力量を客観視し、どの位置であれば最大限のパフォーマンスを発揮できるかを考えたそうです。年齢も30を超え、スタミナは落ちてきているけれども短いイニングであれば、最大の武器でもあるコントロールを活かす道はあると考え、中継ぎへの転向を決めます。中継ぎ転向後は、メジャーリーグで2球団で中継ぎとして活躍を経て、かつて松坂大輔投手も在籍したボストンレッドソックスと契約します。

そして、2013年シーズンに、偉業をなしとげます。メジャーリーグの優勝決定戦でもあるワールドシリーズで日本人初の胴上げ投手となり、優勝を果たします。球速もメジャーでもかなり遅く、体格もとりわけ大きくはない上原投手ですが、あきらめない姿勢と自慢のコントロールと変化球を武器に中継ぎ、抑えという新境地で、成功を勝ち取りました。

上原投手の「生き様」から、本人も「雑草魂」と語っているように決してあきらめず、能力がなくて挫折しても、信念を持って、努力を積み重ねれば何事も実現する事を学びました。正直上原投手のドキュメンタリー番組を見なければ、バックグラウンドを知る事はできませんでしたし、あらゆる業界で活躍されている方は、裏で絶え間ない努力を積み重ねている事を再認識する機会をいただけたと思っています。

以上、今回のテーマ「生き様」でした。

湘南塾事務局

山﨑

 

極限点 2018

湘南塾、週替わりコラム、新年一発目の投稿は、脇坂からお送りします。

新年最初のコラムということで何を書こうかなーとちょっと考えてみたり。なんとなく去年の個人ブログを振り返ったりしながら。

で、その中から「極限点」という去年の3月のブログをもとに今回の記事をお届けします。

「極限点」という考え方は、戦争学(エドワード・ルトワック著:戦略論〜戦争と平和の論理〜)の中で出会ったコンセプト。

ざっくりと要約すると、自分たちの能力の限界点(極限点)を超えて攻め込むと、攻めていて劣勢の敵に相対していたはずなのに、気づけば自分たちが不利な状況に陥ってしまう、という感じ。昔ながらの地上戦をイメージして他国に攻めていることを想像すれば、相手の国に深く攻め入れば攻め入るほど、地の利は相手側にあるし、補給線も伸びて不利な状況に陥る、といったイメージ。

これを今の自分が取り組んでいるベンチャーや中小企業の進出支援について当てはめてみたらどういうことなのだろう?と。

限界なんてあると思いたくない一方で、今の自分たちの限界点をちゃんと把握していることも必要なのだと。

それはつまり今の自分たちにできることをしっかりと見つめ直すプロセスとも。

そして去年の春先頃に考えてたのが、ベンチャーや中小企業の新興国展開支援という同じようなサービスを提供している競合、それも自分たちよりももっと世界中にそして組織的に体制が整っている企業たち、を相手に自分たちが価値を提供できる場所はどこなのか、ということ。

そう言った企業に追いつこうと手当たり次第に提供するサービスを広げていこうとしても、それこそ自分たちのリソースを薄く引き伸ばしてしまっては、無理して新たに広げたサービスが成功するなんて思えない。

自分たちは民間企業の新興国展開支援をしているけど、所属しているアイ・シー・ネットという会社は、普通の人にはあまり馴染みがないけど、開発コンサルタントと言われる仕事をメインに成り立ってきた会社。日本政府、例えば、JICAや経産省がやっている開発途上国への政府開発援助(ODA)プロジェクトや、現地政府から発注を受けたプロジェクトを、現地政府と一緒に実施する会社。

極限点を知るということは、自分たち自身をもっとよく分析することが大事。

そうして夏頃に考えた新しい方針(とは言っても自分がひっそりとやっているだけ?かも笑)は、ちゃんと今の自分の組織の力を活かして(競合のコンサル企業と)戦うことだし、そういう他社が提供できないサービスを提供することが自分たちの価値だと。

今の組織が強みを持っているのは、これまで25年近くに渡って、現地政府と一緒に現地の制度設計や、その運用を一緒に作り上げてきたということ。こう言った部分では、同じ開発業界には競合はそれなりにいるけど、普通の民間のコンサル企業にはあまりない特徴。

だったら、自分がやる民間進出支援も、新興国の政府と連携して、(自分のクライアントが必要とする)制度を一緒に作って、その制度が出来上がった後にクライアントが民間企業として現地でサービス提供ができる環境を作ることだろうと。

もちろん、自分のクライアントが新興国でサービスを提供することによって、地元の人たちの生活が今よりももっとよくなるということを一番大切にしたい。

去年の前半頃に抱いていた自分たちの極限点。それが明確になって、また秋頃には新しく自分たちができそうなことがまた一つ加わって、ちょっとづつだけど極限点も広がったかな、と思う。

今年もまたグリグリと前に進んでいきたいな。1年後にはどこまでたどり着けるか楽しみだ。

では、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

また、みなさまにとってステキな一年になりますように。

脇坂
湘南塾 事務局