日本の城

湘南塾の山﨑です。

今週のテーマは「日本の城」です。

個人的に、全国の城下町を巡る事が好きで、数々の城を見てきました。例えば、江戸城(皇居)、名古屋城、大阪城、姫路城、等々。そこで、城について私の視点からお話させていただければと思います。

天守閣や櫓の形、城を取り囲むお堀であったり、一つ一つのお城には個性があります。ただお城と言えば、華やかな天守閣に目がいきがちですが、私が注目するのは、城の土台となる石垣で、実は個性があり種類も様々です。

例えば、代表的なものを2つあげますと、大きさがばらばらな自然の石を積んで築く野面積み(のづらづみ)や、石の角や面を削り、平たくして接合面の隙間をなくし積み上げる打ち込み接ぎ(うちこみはぎ)といったものがあります。

特に後者は、安土桃山から江戸時代にかけて用いられた技法で、現存する城の多くはこの石垣になり、最も先進的なものになります。時代に合った先進的な城を築くため、先人達が考え抜いて生み出した産物が400年以上経った今でも、壊れずに建ち続けている事に、改めて日本人の知恵の奥深さを感じる事ができます。

記憶に新しいのは、昨年4月に発生致しました熊本地震での熊本城です。あの巨大地震に遭って、崩落せずに持ちこたえてる様子は皆さんもご覧になられたかと思います。あの姿こそ日本の城、建築物の質の高さを象徴すると共に、被災者に希望を与える役割を果たしていたのではないかと思っています。

少し話しがずれるかもしれないですが、スポーツにせよ仕事にせよ基礎(土台)がしっかりしていないと、その先の進歩はないと思います。そんな思考も、城の土台である石垣に通じるものがあるなと感じていますし、石垣が土台として成り立っているからこそ個性的な天守閣が生み出されるわけですから。

私たち日本人になじみのあるお城ですが、石垣に注目するなんてマイナーかもしれませんが、また違った視点を持つ事で、得られる学びもあると実感しました。私自身が、以前は天守閣しか見ないタイプの人間でしたので。

今後お城を見る機会がありましたら、屋台骨でもある「石垣」に注目してみてください。

ちなみに私がイチオシの城は、松江城です!

それではまた次回もお楽しみに。

 

 

カウンセリングと心理学

今週のコラム担当の江尻です。

今週末のキャリコン国家試験に向けて、ただいま缶詰勉強中。。。につき、「カウンセリングと心理学」についてちょっと書いてみますね。

これまでコーチング、NLP、キャリアカウンセリング、など人との対話を通じて相手に良いインパクトを与えられるようなスキルを勉強してきたわけですが、色々勉強してわかったのは、どの手法にも根底には心理学者が考案した色々な手法や論拠が活用されているということ。このあたり、まったく無知だったわたし。。。。素直に感動。

例えば、カウンセリングの教祖さんみたいなロジャースの来談者中心療法(パーソンセンタードアプローチ)なんて、コーチングの「相手の能力を信じる」みたいなところにしっかり共通性があるようだし、コーチングやNLPの視点を変える・選択するというのは、心理学でいう認知療法というのが取り入れられている模様(プロではないので断言はしないが)

あと、世の中で行われているグループワークやセミナーには、ほぼほぼ国分康孝の構成的グループエンカウンターという方法が使われている気がする。(名札をニックネームにするとか、リーダーの役割とか)

一番気に入ったのは、認知行動療法を提唱したパールズさんのゲシュタルト療法。これは、全く前提をおかずに、コーチングで言うところの「今この瞬間」をしっかり捕まえてカウンセリングを行っていくもの。また、このパールズさんの「ゲシュタルトの祈り」という詩がとっても良かったので、ここで紹介しますね。これ、エマソンの「自己信頼」にも通ずる強烈な自己認知があって、気に入りました。

GESTALT GEBET

ゲシュタルトの祈り

Ich lebe mein Leben und du lebst dein Leben.
私は私のために生きる。あなたはあなたのために生きる。

Ich bin nicht auf dieser Welt, um deinen Erwartungen zu entsprechen –
私は何もあなたの期待に応えるために、この世に生きているわけじゃない。

und du bist nicht auf dieser Welt, um meinen Erwartungen zu entsprechen.
そして、あなたも私の期待に応えるために、この世にいるわけじゃない。

ICH BIN ich und DU BIST du –
私は私。あなたはあなた。

und wenn wir uns zufallig treffen und finden, dann ist das schön,
でも、偶然が私たちを出会わせるなら、それは素敵なことだ。

wenn nicht, dann ist auch das gut so.
たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。

Frederick Perls
フレデリック・パールズ

(出典:http://www.ieji.org/archive/das-gestalt.html

 

コーチングやNLPではこのあたりの裏付けを教えてくれなかったんだけどキャリコンは国家試験だけあって、きちんとこのあたりの心理学の裏付けを勉強しないと試験にとおらん。。。。というわけで必死に覚えている。。。

脳が爆発しそうだ〜

更に言うなら、それぞれの団体でカウンセリングの手法が違うので、僕の脳は更に混乱中!!! なんか、同時に2−3の外国語を習っているような感覚。。。しっかり切り分けできるように頑張ります!

ではこのあたりで、勉強にもどります。あしからず。。。。。

第14回 湘南塾 公開セミナー報告

湘南塾事務局の山﨑です。

今回は、コミュニケーション、会議の在り方、ワイン基礎講座の3テーマを中心に、ディスカッションを行いました。

1)コミュニケーション:ワークショップを通じて、様々な視点からコミュニケーションの取り方を実践。

2)会議の在り方:会議の目的とは?、そして会議をより効率的に行うための方法論を議論。

3)ワイン基礎講座:ビジネスマナーとして知っておきたいワインの基礎知識の特別講座。

日頃できていると思いがちなコミュニケーションの奥深さ、何気なくしている会議・MTGの在り方を、プレゼンターの視点から鋭く切り込み、ワークショップを交えながらの熱いディスカッションとなりました。

そして、締めくくりはプレゼンターよりワイン基礎講座が開かれ、ワインの種類、味わい方等の今からでもすぐに実践できる基礎知識を習得する場となりました。個人的に、今まではワインを飲む機会は少なかったですが、今回の講座を機に、ワインに積極的にチャレンジしたいと思います!

次回は12/3(日)に湘南塾を開催予定となります。テーマは「来年の抱負」です。

2017年も残りわずか、迫り来る2018年に向けて来年への意気込み・目標を披露していただきます。

次回の湘南塾をお楽しみに!皆様の参加をお待ちしております!!

 

安全第一

今月の月次投稿のテーマ「趣味」

なんとなく自分もそのテーマで書いてみようと思って、実はほぼ書き終えたんだけど、結構、自分が普段話していることなのであまり面白くないかなぁ、という気もしてきたので書き直してみる。

今回はちょっとした自己紹介もかねて、あまり普通の人が体験してこなかったことの話を書いてみよう。

ちょうど今から10年くらい前の2008年から、自分の人生のなかでちょっとした急ハンドルを切って、平和学とか紛争解決学というジャンルの勉強や、その後に、紛争を経験した場所での民族和解の支援といったことを仕事にするようになった。

その時くらいから、一般的には治安があまりよくないと言われているところにも行くことになったけど、さりげに自分は今まで危ない目はもちろん、何かモノを盗まれたりしたことがないんだよね。

もちろん、ただただラッキーという要素もあるのだろうけど、やっぱりそういったことが起きづらい行動もしているんだろうな、と。

同僚で出張に行くたびに何かに巻き込まれている、というか引き寄せている人もいるし笑

そんな自分が今までに受けた研修でおもしろかったのは、「正しい捕虜の捕まり方」とでも言える研修。正式名称は、Safety in the Field。トップの写真はその時のもの。

タイの国軍の訓練キャンプを借りての安全管理研修は、無線の使い方、検問のシュミレーションや、移動中に拉致られて尋問される、といったフィールドワークがセットになったもの。

模擬地雷原を歩いてみる、という課題もあったり。地雷の模型を見ながら、このタイプの対人地雷はもっとも殺傷能力がヤバいので気を付けましょう、とか。

いつ使うんだ?この知識、とか思いながら。

その後しばらくして見たテレビドラマの24で、同じ地雷が使われていて、あ、そこリアリティにこだわってるんだ、とか思った記憶も。

あとは、よくこれもテレビの無線通信で見るAlpha, Bravo, Charlie, Delta, Echoといったアルファベットのスペルの正しい読み上げ方を練習させられたり。これは、たまに海外の人と電話とかでメールアドレスや、名前のスペルを伝える時にちょっとだけ役に立つ(笑)

地雷原のヤバさを体験する練習と同じレベルで、絶対にこの状況になりたくないなーというのは、「300mの距離からライフルで狙撃されている時に、自分の方向に向かって撃たれている場合と、自分とは違った方向に撃っている時の音の違いを覚えろ」というもの。確かトレーナーは、supersonic soundとか呼んでいたと思う。確かに、実際に(安全な場所で)自分の方に向かって撃たれてみると、確かに違った。でも、この経験を生かす状況が現実になったら最悪だ。

一度、南スーダンのジュバにいた時に、夜中に発砲音を聞いた時は、ちょっとだけ、この時のトレーニングを思いだした。まぁ、その時は、単に兵士がふざけて発砲していただけだと思うけど。

トータルとして、このトレーニングを受けてわかったことは、ヤバい状況にまでなるようなことになったら、もうどうにもならない、という至極あたりまえのことを再確認。ただの民間人な自分にはどうすることもできない状況になる手前で、回避行動をとることが大事、ってこと。

あと、たぶん自分が危険な目にあったことがないのは、low profile。目立たないようにするってことが大きいのかな、と。まぁ、アフリカとかに行けば東洋人というだけで目立つけど、後はシンプルにお金を持ってなさそうな見た目にすること。これってやっぱりお守り的な効果は大きいと思う。

最近おもしろかったのは、自分は東アフリカから横移動で西アフリカに行って、その時に日本から直接やってくるうちの社長と西アフリカのベナンで待ち合わせをした時のこと。特にうちの会社は、私服でユニフォームなんてないのに、空港に迎えに行っていた自分も、日本からやってきた社長も、黒い半袖のシャツに、グレーのワークパンツ、キャップにヒゲづらという同じスタイルだったこと。あ、同じ思考回路で行動してる(笑)

出張時の正装モード(笑)

研修の時にトレーナーがいいことを言っていて記憶に残っているのが、「あなたたち自身の安全を確保することが一番大事です。仮にあなたたちに何か被害があったら、あなたたちがやりたくて活動していることを続けるのが難しくなるのは容易に想像がつくでしょう。だったら、短期的な損得で危険を冒すことにメリットはなく、自分がやりたいことを続けるためにも、安全に活動して、そしてちゃんと帰ってくることでやりたいことを続けましょう。」と。

やりたいことを続けるには、安全第一!

ではでは、また。

脇坂

月間スタッフブログ 11月号 「趣味」

毎月テーマを変えてお届けするスタッフブログ、今月は「趣味」をテーマに発起人の江尻からお届けします。趣味を本気でやるとどうなるかって話です。若干挑戦口調だけど、いま私の趣味が「海賊」なんで、そこはご容赦を〜

趣味ってなんだ?

趣味っていろいろあるよね。食べ歩きとか、スポーツとか、手芸とか、また人によっては勉強とか。広辞苑にはこう書いてあるそうな。

「仕事・職業としてでなく、個人が楽しみとしてしている事柄。」

まあ、あくまで楽しみとしている事柄であれば、全て趣味ってことだね。ただ、「楽しみとしている」の具合がどうも人によって違う気がする。

例えば、僕は趣味に「狂ったように没頭」するタイプ。過去に没頭したのは、ウインドサーフィン、ゴルフ、オートバイだ。ウインドサーフィンに関して言えば、学生時代から社会人2年目くらいまでのほぼ全ての時間をその技術向上や、道具のチューニングに費やした。強風が吹いた日にも関わらず、都合で海に出られないときなど、鼻血が出たものだ。また、台風通過の出勤日など、出勤前にお台場で乗ってからポリタンの水を浴びて出勤したりもしていた。。。。ゴルフもアホのようにやった。あの当時、道具に関しては恐らく誰よりも詳しかったし、宮崎のフェニックスゴルフアカデミーの5日間の合宿コースに一人で参加して、最終的に台湾日本人会の年間チャンピオンも取った。バイクもそうだ。最初に乗ったNINJA250など、台湾で乗っていたにも関わらず、日本のサーキットで走っているものとほぼ同様の改造を加えた(当然エンジンもいじった)し、何回も峠で転んだ。。。なんやかんやで結構上手く走れるようになったし、普通の台湾人よりも台湾の道に詳しくなった。

別に自慢したいわけではなく、僕は面白いモンには圧倒的に没頭してしまうのだ。で、その先に人が見ていない面白い景色が見えるってわけ。狙っているわけでも何でもなく、没入してしまうのだ。。。。

例えば、最近勉強しているコーチングやカウンセリングも同列。。。めちゃくちゃ面白いから、どんだけ勉強しても更に先を知りたくなる。

僕にとって趣味とは、「楽しみとしている。。。」という感じではなく、「無我夢中で没頭している。。。」という感じなのだ。

仕事は趣味になるのか?

さっきの広辞苑の定義でいうと、どうも仕事や職業としてやっているものは個人の楽しみではないのかな?だとすると、「狂ったように没頭」出来る楽しい仕事はないのか?

最近何回か「海外で成功するための3要素」という講座を持つ機会があったのだが、その内の一つに「Commitment — 本気(真剣)であること」という要素がある。ここでいう「本気」は「他人からみたら狂ってると思われるくらい真剣であること」と定義している。なぜなら、この真剣さに人は共感し、協力してくれるから。僕は幸いにして、この狂ったように仕事に取り組むという経験をさせてもらった。それは、将に趣味に没頭したのと同じ感覚だったと思う。

仕事で面白い要素、例えば、競合に勝つ!とか、何かを達成する!とか、そういう「事柄」に対してそれを個人が楽しみとするなら、それも趣味ではなかろうか?そして、その趣味に没頭できるのであれば、まさに「本気」で取り組むことが出来て、仕事も上手く行くような気がするのだ。

そんなに没頭できる趣味はない?

趣味には仕事と違って、上司もいない、制限もない、多少の時間的制約や金銭的制約はあるかもしれないが、仕事で受ける制約から比べたら、比較にならないくらい小さいだろう。

無我夢中になるのがイヤだという自分への言い訳(サボタージュ)さえ取り払ってしまえば、きっと何かが見つかるはずだ。

だとすれば、まずはなんでもいいから自分が本当に面白いと思うものや、興味のあることにどんどん手を出し、「もしかしたら?」という事にとことん取り組んでみてはどうだろうか? とことんというのは、まさに「無我夢中」になるということ。それはグルメだろうが、運動だろうが、多分なんでもいい。まずこの「無我夢中」を体験すること。そして、その「人が狂ってると思うくらい無我夢中」の行き着く先を体感することは、とても素晴らしい経験になるはずだ。

そして、その体感や経験こそが仕事にも役立ち、他人に出来ない何かを成し遂げる力になるんじゃなかろうか?

そう考えると、自分なりの「趣味」を見つけて本気で極めて見るのはとっても大きなインパクトがありそうじゃないですか?

酒と私

週替りコラム、テーマは酒と私だそうだ。

酒を飲むのも仕事のうちという中華圏において10年近くを過ごした経験があるので、誰もが私は大酒飲みの様に思っている様だが、実はそうではない。

下戸という訳ではないが、非常に顔に出やすい質である。両親が北海道生まれで、元来肌が白いからであろう。

実は大して飲んでもいないのに、頬が茹で蛸の様に紅潮するからだろうか、こいつは相当飲んでると思われ盃が回って来ない事も多い。本人はもう少し飲んでもいいのにと思っている最中であるから、人生思うように行かないものである。

思うように行かないという経験は、酒にまつわる失敗談が多い様に思う。

酒に酔い、理性を失い、野生となるからであろうか。

北京といえば白酒である。

羊と言えば白酒である。

そして、真冬と言えば白酒である。

ある時、腹蔵無く語り合える友人と、真冬の北京で羊の串焼きを食べる機会があった。

件の三要素が揃うという事は白酒である。

当時、金も無い若者であったため、羊を出してくれる回教徒(中国国内のムスリム)が経営する店に、スーパーで買い込んだ格安の白酒(500mlで100円)を持ち込んで羊を食べつくすという、アラーが聞いたら卒倒する様な宴を設けた。

最初は友人のペースであったが、途中から私が逆転。その勢いに押されたのか、何故か彼の従兄弟という男を呼びつけ、日中対決の様相である。彼が従兄弟を呼びつけた刹那、彼は野生を取り戻したのであろう。

中国人が最も大事にするという面子を捨て、何としても私を酔い潰そうとしているのである。

日本人のペースで飲んだら負ける。なので、酔い潰してしまえ。

白酒の乾杯は、人間関係を再確認するプロトコルだ。

何かと理由をつけて、共に盃を飲み干す。

野生を取り戻しつつある彼の乾杯の理由は、その乾杯の数と共に理性を失いゆく。

君の健康に乾杯から始まり、会ったことの無い彼の両親の健康を祝い、私の未来の嫁の健康を祝い、毛沢東思想を祝い、日中の友好を祝い始める。

祝う事が無くなると、辺り構わず盃を捧げる。猫に乾杯、箸に乾杯、白酒に乾杯、乾杯に乾杯。

もう完全に意味不明である。

気がつくと3人で500mlのペットボトル白酒を8本位空けた時だろうか、足元が妙に滑る事に気がついた。

何かと思うと、友人の従兄弟が失禁しながらも酒を飲み続けているのである。

流石に不味いと思い、携帯で車も呼ぼうにも、指が動かないのである。

そこで私の記憶は途切れている。

鼻を付く消毒薬の臭いで目を覚ますと、病院のベッドで川の字に三人が並んている。

看護士の説明だと、三人が卒倒したため、回教徒のオーナーが病院に運んでくれたのだという。

非常に失礼な事をしたものである。まあ、そのまま店に放っておいても、凍死されるだけだから厄介払いしただけなのかもしれないが。

その後、強烈な二日酔いに数日付きまとわれることになる。

二日酔い以上に困ったのが、栄養失調である。アルコールで胃腸がやられたのか、食べたものが消化されず、そのままの色で排出されてくるのである。全く体内で吸収されないため、数日は点滴で栄養を補給するハメになった。

今思うと、胃洗浄や透析をする事にならないで良かったと思う。

月日が経ち、それぞれ年齢と分別を伴う様になったためか、鯨飲する事は無くなったものの、たまに顔を合わせると、やはり白酒となってしまう。

しかし、中国の昨今のご時世、酒への風当たりは強まっているらしい。

酒飲み日中対決の決着が付けられなかった彼は「あの時のアラーのせいだ」と言っている。

石畳の奥から聞こえる二胡の調べと同様に、

胡同の片隅の羊屋から乾杯の連呼はもう聞こえないのだろうか。

人助けとおカネの関係

週替わりポストの4番目、小さい頃から「ヒトの役に立ちたい」という思いがどこか心の中にいつもあったHagiです。

小学生や中学生の頃は漠然と「人を助けれるようになりたい」と思っていて、自分の為だけに生きてると向上する意欲が持続しない自分がいました。勉強でも一番になれない、運動でも一番になれない、でも何かを目指して生きていきたいなぁ、と漫然と思っていました。海外で活躍する慈善活動されている方などがテレビ番組で取り上げられていると食い入るようにみて、「僕もこんな風になりたい」と思っていました。

しかし… 大学を卒業し社会人になって自分で生き始めると、お「カネ」に振り回されてはいけないと気付くのと同時に、お「カネ」のありがたみも知ります。

活動するための自由な「時間」と「カネ」がないと人助けはあまり出来ないと実感するようになりました。ボランティア組織を作っても、お「カネ」がないと自分自身や自身の家族も食わせていくことが出来ない、あるいは、結局、基金や組織などの他人様の財布から「カネ」を拝借して活動資金を賄うしかない、など綺麗事でない世界を目の当たりにします。

自分のお「カネ」に多少余裕がないと、他人を助けることなんて出来ない、と思うようになりました。

お「カネ」儲けは悪いという風潮が日本にはあるような気がします。ただ、今の社会、付加価値を付けた「モノ」でないと、対価を得るのがどんどん難しくなってきています。知恵を絞ってリスクを背負って商売しないと、最低限の対価すらえれず商売を継続するのが難しくなってきています。身体が動く限り懸命に働き、キャッシュを生み出し、身近で身の丈にあった「ヒト助け」から始めてみる・・・そんな生き方もあるんだ、と思うようになりました。

「??という国(地域)の生活を豊かにするんだ!」と身勝手で押し付け的な大言壮語することより、身近な「??君(さん)を助ける」の方がよっぽど現実的で役立つことに気付くようになりました。

自分?家族?趣味?余暇?など、それぞれ人生のプライオリティがあると思います。生活をしていく上で、お「カネ」との距離感は重要だと思います。「好きなこと」を進めていく上で、お「カネ」とのバランスで「犠牲」にしないといけないこともあると思います。

皆さまはお「カネ」と「やりたい事」のバランス~どんな風に考えていらっしゃいますか?