湘南塾の脇坂です。今回は、事務局メンバーでお題を決めて投稿する月次投稿を担当します。

さりげに、毎週の投稿は、各自が好きなテーマで投稿しているのですが、月一で月次テーマが設定されているのです笑

昨年9月の新橋の湘南塾の事務局会合(飲み)で候補に上がった月次投稿の中から、なんとなく、話すのが好きなので「夢」というテーマを選んでみたものの、何を書こうかな、とちょっと考えてみたり。

自分のダイレクトな夢としては、「世界が平和になるような仕事がしたい」というのが一番。

ただ、これだと湘南塾でも何回か紹介させてもらっているし、今ひとつ、読者の心に響かないかなーとも思ったり。

なので、「夢」を「自分がどうやって生きていきたいか」という意味でとって今回のブログをお送りします。今年の湘南塾の目標として、20代や30代の若い人にももっとメッセージを伝えていきたいというものあるし。

自分が大事にしていきたいと考えていることをシンプルにあらわすと、「自分がやりたいと思えることをやって生きていきたい」と。まぁ、これは結局「世界が平和になるような仕事をしたい」とも言える笑

そして、最期、限りある自分の命が終わる時に「あぁ、自分の人生、自分が生きたいように生きてこれて満足だ!」と思えるようにしたい。

でも、自分が思っている以上に、自分がやりたいことをやっている人って少ない気がするのが正直な感想。

例えば、たまに大学生の進路相談イベントに、政府開発援助(ODA)とか新興国とビジネスで関わる仕事をしている人、として参加させてもらう時に、参加者の大学生から「いままでOBやOGに就活にあたってたくさん進路相談をしてきたけど、脇坂さんのように楽しそうに仕事をしている人は初めて会いました。」と言われて、嬉しい反面、みんなそんなにつまらそうに仕事しているの?と残念な気持ちも。その大学生の言っているOBやOGは、聞いたら年齢も20代の若い人たちなのに。

やりたいことを仕事にしていく、というのは簡単ではないとも思う。そのためには、やりたいことを見つけること、そして自分がそれをできるだけのスキルを身につけていること、の2点は必要だと思う。

もちろん、早い段階でやりたいことが見つかれば、それはそれでラッキーだ。ただ、あまりに現実的に自分を見つめすぎて、今の自分にできること、をベースに夢を下方修正とか手の届く範囲に収めてしまうことをしないように頑張り続けられればいいのかな、と。

自分も含めて大抵の経験もスキルも無い若い人のできることなんてたかがしれている。そんな時に自分のその時点のキャパに収まるこじんまりとしたものを夢にしてしまってはつまらないと思うんだよね。

自分にできることをベースにしていたら、中学生の頃から現在に到るまで「世界平和」なんて言っていたら頭おかしい人になってしまう笑 これは、将来、それができるようになるんだ、という自分自身への宣言のようなものだ。

そして、自分を振り返ってみても、ほんとにやりたいことを仕事にできてるな、と感じ始めたのは30代半ばに差し掛かった頃から。

それまでは、やりたいこと(世界が平和になる仕事をしたい)は持っていたけど、それが自分のやっていることとは直結はしているという感覚は弱かった。

でも、そこに到るまでの過程も無駄ではないと思うんだよね。

自分がやりたいことが見えない、やりたいことが決まっていても何をすればよいのか分からない、といったこともたくさんあると思う。

そういう時には、自分のモチベーションをどう持っていくか?が大事だと思う。

子供の頃は可能性は無限にあって、大人になるにしたがって可能性は狭まっていく、という言葉。半分あっているけど、半分は間違っていると思う。

子供の頃は確かにどこに向かっていくか?という点では可能性は広いと思う。でも、大人になったからと言って可能性が狭まるかどうかは本人次第だと思う。それまでの人生の中で積み上げてきた経験やスキルというものを活かせるようにしているなら、自分が目指している方向がある程度見えているのであれば、子供の頃には手に入れられなかった可能性を、大人の自分の方が持っていると思う。子供の頃はあまりに曖昧すぎて、方向性が定まっていないのだ。ただ、時間だけはたっぷりとあるから、自由に方向を決めることもできる点が違うのかな、と。大人になれば、子供の頃には見えなかったものが経験とともに見えるようになってさらに先の可能性が広がっていると思う。

10年以上前になるけど、監査法人で、新人の訓練係をしていた頃に、(仕事の意味が見出せずに)よく道に迷った新人に「新人として配属された今の仕事がやりたいことだと思えなくても、何も考えずにがむしゃらに3年間は本気で仕事してみろ。それで、やっぱり違うと思うのだったら転属でも辞めるでも選べばいい。何も知らないたった数ヶ月か1年しか働いていなくて大した経験もないのに判断なんてするな。」と、まぁ、厳しめな指導というかアドバイスをしていた。この頃、一部のスタッフからは、鬼軍曹なんてあだ名で呼ばれてたな、と思い出したり笑

でも、やりたいことが見えていない人にとっては、将来、自分が本当にやりたいことが見つかった時にそれを選べるようにするために、自分のスキルを高める努力は大事だと思う。一番切ないのは、やりたいことが見つかっても、その時に自分がそれを選択することができない、ということ。

まぁ、やりたいと思えば大抵のことはできると思うけど、近道は自分の基礎的なスキルや経験を磨いておくことだと思うんだよね。

自分が仕事を始めた頃よりもインターネットがさらに普及して、今はいろんな仕事の情報も手に入るけど、特に仕事をし始めた若い人におすすめは「最初の会社で少なくとも3年、できれば5年は本気で仕事をしてみる」ことだと思う。中途半端にころころ転職を繰り返しても、結局自分のスキルは上がらないから、無駄に年を取ることになると思うんだよね。特に新人の頃なんて、初めての仕事なわけだから、学ぶことはたくさんあると思うし。

なんだろ、自分が思うのは、逃げ癖というか、辛いことがあったら、投げ出してしまう変な癖がついたら勿体無いな、と。まぁ、本当にどうしようもなく辞めたいのであれば、次の転職先では絶対に3年は辞めない、という覚悟はあった方がいいと思う。

まぁ、自分が最初のキャリアで恵まれてたんじゃない?と思う人もいるのかな。でも、半分あっていて、半分間違っていると思う。新人の離職率1年で半分が辞めて、3年で誰も新人がいなくなるようなチームだった。仕事も年間の稼働率が140%を確か超えていたと思う。つまり年間でならしても常に毎日3時間くらい残業している状態。全く仕事がない暇な時期が2〜3ヶ月あるのに。繁忙期の稼働率は200%近く。もう一人雇えるじゃん!と思ったり。でも、よいことは、直属の上司がいないから、次から次に新しい仕事を担当させてもらえたこと。誰もいない目の前オールグリーン(青信号)じゃん!と笑

まぁ、こんな精神状態だったので、鬼軍曹と呼ばれたのだろう。

最初のテーマに戻ると、やりたいことをやっていきていけるように、自分自身のスキルを高めるというか、自分が年を取っていく中で、年をとったことが無駄にならないように、精一杯、できることを積み上げていって、自分がほんとにやりたいことを見つけた時に、その時により多くの選択肢を自分が選べるようにしたいな、と思ったんだよね。

ある意味、とっても欲ばりな考え方だけど、だって、20代の頃に自分が何を本気で仕事にしていくかなんて選べなかったんだもの笑

やりたいことをやれるように今をしっかりと生きていこう、これは今も変わらない。

脇坂
湘南塾 事務局

極限点 2018

湘南塾、週替わりコラム、新年一発目の投稿は、脇坂からお送りします。

新年最初のコラムということで何を書こうかなーとちょっと考えてみたり。なんとなく去年の個人ブログを振り返ったりしながら。

で、その中から「極限点」という去年の3月のブログをもとに今回の記事をお届けします。

「極限点」という考え方は、戦争学(エドワード・ルトワック著:戦略論〜戦争と平和の論理〜)の中で出会ったコンセプト。

ざっくりと要約すると、自分たちの能力の限界点(極限点)を超えて攻め込むと、攻めていて劣勢の敵に相対していたはずなのに、気づけば自分たちが不利な状況に陥ってしまう、という感じ。昔ながらの地上戦をイメージして他国に攻めていることを想像すれば、相手の国に深く攻め入れば攻め入るほど、地の利は相手側にあるし、補給線も伸びて不利な状況に陥る、といったイメージ。

これを今の自分が取り組んでいるベンチャーや中小企業の進出支援について当てはめてみたらどういうことなのだろう?と。

限界なんてあると思いたくない一方で、今の自分たちの限界点をちゃんと把握していることも必要なのだと。

それはつまり今の自分たちにできることをしっかりと見つめ直すプロセスとも。

そして去年の春先頃に考えてたのが、ベンチャーや中小企業の新興国展開支援という同じようなサービスを提供している競合、それも自分たちよりももっと世界中にそして組織的に体制が整っている企業たち、を相手に自分たちが価値を提供できる場所はどこなのか、ということ。

そう言った企業に追いつこうと手当たり次第に提供するサービスを広げていこうとしても、それこそ自分たちのリソースを薄く引き伸ばしてしまっては、無理して新たに広げたサービスが成功するなんて思えない。

自分たちは民間企業の新興国展開支援をしているけど、所属しているアイ・シー・ネットという会社は、普通の人にはあまり馴染みがないけど、開発コンサルタントと言われる仕事をメインに成り立ってきた会社。日本政府、例えば、JICAや経産省がやっている開発途上国への政府開発援助(ODA)プロジェクトや、現地政府から発注を受けたプロジェクトを、現地政府と一緒に実施する会社。

極限点を知るということは、自分たち自身をもっとよく分析することが大事。

そうして夏頃に考えた新しい方針(とは言っても自分がひっそりとやっているだけ?かも笑)は、ちゃんと今の自分の組織の力を活かして(競合のコンサル企業と)戦うことだし、そういう他社が提供できないサービスを提供することが自分たちの価値だと。

今の組織が強みを持っているのは、これまで25年近くに渡って、現地政府と一緒に現地の制度設計や、その運用を一緒に作り上げてきたということ。こう言った部分では、同じ開発業界には競合はそれなりにいるけど、普通の民間のコンサル企業にはあまりない特徴。

だったら、自分がやる民間進出支援も、新興国の政府と連携して、(自分のクライアントが必要とする)制度を一緒に作って、その制度が出来上がった後にクライアントが民間企業として現地でサービス提供ができる環境を作ることだろうと。

もちろん、自分のクライアントが新興国でサービスを提供することによって、地元の人たちの生活が今よりももっとよくなるということを一番大切にしたい。

去年の前半頃に抱いていた自分たちの極限点。それが明確になって、また秋頃には新しく自分たちができそうなことがまた一つ加わって、ちょっとづつだけど極限点も広がったかな、と思う。

今年もまたグリグリと前に進んでいきたいな。1年後にはどこまでたどり着けるか楽しみだ。

では、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

また、みなさまにとってステキな一年になりますように。

脇坂
湘南塾 事務局

いたしません!

今年最後の週次コラムは、江尻が担当します〜
タイトルは、「いたしません!」
来年に向けて、やらないことを決めてはどうでしょうか?

楽しく観ていた「ドクターX」もシリーズ5となり、先日最終回を迎えた。ご存知の方も多いかと思うが、簡単に言うとフリーランスのスーパー外科医が白い巨塔のルールを無視して活躍するという話。そこらじゅうの設定にデフォルメが効いていて、まあまあありえないお話だし、ストーリー展開もまあまあくだらないのだが、僕はこのドラマが大好きなのだ。

理由は、主役の大門未知子のたたずまいとありかたが素晴らしいから。演じている米倉涼子のつっぱり具合も素晴らしく、「いいお医者さん」ではなく「プロフェッショナル」であることを上手に演じている。素晴らしい医師だから、「素晴らしい心」という紐付けではなく、大門未知子は「だれも見捨てない」「手術大好き」というプロフェッショナルなポリシーに加え、「私、失敗しないので」という決め台詞と共に自分を追い込んでいく。手術の前にはありとあらゆる可能性やシナリオを頭に叩き込み、徹底的に予習をする。なんで? それは、彼女は誰よりも手術が大好きだから。

勉強熱心だから、人を助けたいから。。。という側面もあるだろうが、まあ最初にくるのは、手術が大好きだからなのだ。大好きなものだからこそ、徹底的に時間も使えるし、誰よりも夢中になって更なる高みに向かっていくのだろう。

そして、もう一つ大切な決め台詞は「いたしません!」だ。医師免許がなくても出来ること、例えば院長回診、論文手伝い、などなど、彼女がやる必要がないと思ったこと、やらないと決めたことがしっかりとリストアップされている。そして、場面場面で不条理な依頼を受けた時は、一寸の迷いもなく「いたしません!」と切り捨てる。これは、「しょうがない」と思いながら何かに取り組んでいる多くの現代人にとって、最高にスカッとする瞬間に違いない。しかし、これをどれほど多くの人が現実世界で実践出来るだろうか?

やらないことを決め、やらされそうになったら「いたしません!」と一刀両断で断る。これは、カッコいいけどあるいみ捨てることへの度胸がいるとも言える。しかし、これをやることで自分の時間を無駄な事に回さなくて済むようになるし、また自分の心を欺いて傷つけることもなくなるのだ。僕自身は「やらないこと」を幾つか決めていて、「いたしません!」というこの大門未知子の言葉とともに「断る」「やらない」という選択肢を取ることもある。これ、やってみたらとても気持ち良いのだ。

だから、本当にやらないことを決め、腹をくくって「やらない」という選択肢を取ることはとても重要であるし、これは結局「やりたいこと」を明確化していくプロセスにもなるのだと思っている。

そろそろ年の瀬、普通は来年「やること」を考えるのだろうが、敢えてここは来年に向けて「やらないこと」を決めてみてはどうだろうか?

(原文)

https://medium.com/…/%E3%81%84%E3%81%9F%E3%81%97%E3%81%BE%E…

最近興味のあるビジネス〜2100年のビジネス〜

今月のテーマブログである「最近興味のあるビジネス」について、大和田が例によって与太話をさせていただきますので、お付き合い頂ければと思います。

単なる金儲けという事であれば色々とネタがあるのですが、そもそもビジネスとは何か、商売とは何かと考えた時に、人様のお役に立ってこそのビジネス・商売ですので、私の関心事は、どうしても人様が困っている事に目が向きがちです。
途上国のQOLに貢献するために、エンタメを届けるという今の商いも、人様のお役に立ちたいという思いから創業に至った経緯です。

さて、人様が困っている事は無数ありますが、ボランティアではなくビジネスとして成功させるためには、利益を生み出すメカニズムを見つける事が必要になる訳です。

では、そのメカニズムは何かと考えると、色々な手法がある訳ですが、一番分かりやすいのは、先行者利益のモデルだと思っています。他人が目を付けないうちに先行投資をして、他人が気がついた時には、他人のついてこれない所まで進んでいるという。

では、どうすれば先行できるのか、と考えると、一番確実なのは、予測できる未来から現在に遡るというものです。未来に必要とされるものを、今から種を蒔いておくというものです。

では、未来を予測する手法ですが、古来より古今東西で最も確実とされる予測手法は、人口統計を見る事だと言われています。

現在の地球上の人口は73億人ですが、2050年には94~100億人、2100年には112億人になるそうです。しかも、増加人口の8割はアジアとアフリカということです。

 

こんなに人口が増えたら、まあ、色々な問題が出てきますよね。そこが商売のタネになる訳です。

私の様な素人が考えても容易に想像できる問題について、私はビジネスで解決できないかと興味を持って勉強をしている最中です。
①そんなに多くの人間が、どこに住むの?
②そんなに多くの人間が、何を食べるの?
③そんなに多くの人間が、どうやって学ぶの?

①の住居問題について。

爆発的な人口増加を遂げる国々では熟練工の調達ができないため、建築プロセスの改善が大きな課題になるはずです。しかも、省エネルギー、というかゼロカーボンで無ければ持続的な発展は見込めません。気象条件が過酷なアジア・アフリカ地域において、どの様な住宅が必要となるか、2100年を見据えた都市計画と共に、住宅整備のエコシステムを作る必要があると考えています。

大量の住宅の供給が見込まれる市場。新たなエコシステムを作れない既存事業者に対して、新参者ができる事は何なのでしょうか?試案があるので、あと4~5年のうちにトライアルをできればいいなぁと考えている次第です。

②の食に関する問題。

牛肉を1kg食べると車で約100kmを走行するのと同等の温室効果ガスが発生するそうです。(出典:EWG)

世界の人々はアメリカ人並に牛肉を食べるとすると、一人あたり24.7kgの消費、1kgあたり100kmの温室効果ガス、これが110億人とすると、、、、計算するの諦めました。多分、アンドロメダ銀河まで行ける距離になってしまいます。

つまり、肉食からのシフトをせざるを得ない時代になるはずです。(温室効果ガスの出ない畜産の方法も解決策の一つだとも思いますが)

いわゆるタンパク質の効果的な生産で考えた場合、沢山の卵を生むタンパク源が経済効率が高い訳です。その一環として、最近は食虫に関心を示す人も出てきています。

私は生理的にNGですが。
(食虫文化を排除するつもりは無いですし、私自身これまで結構食べてます)

いきなり虫に行く前に、日本人としては、魚があるじゃないかと思います。
実際に魚を食べる日本人は、牛肉の消費量はアメリカ人の1/4なんだそうです。
(それ以外に豚や鳥も食べるからという説もありますが、まあ魚の影響が大きいのでは?)

魚の養殖技術は日本が最も進んでいるので、日本の食魚文化の輸出を通じて、未来の栄養問題解決に貢献できるのでは無いかと考え、世界の様々な所で魚を食べたり、食べてもらったりしながら勉強を続けています。

クールジャパンとして日本の食文化の輸出をするのも良いですが、持続可能な開発という観点からの魚産業の輸出という観点も大事なんじゃないかと思うんですよね。

養殖と加工、流通と食文化の形成という一筋縄では行かない大問題ではありますが、未来には確実に栄養問題は発生しますので、その解決を通じて商いができればなと常々考えています。

③の教育について。

教育とは、最も効率の良い投資であり、しかも報酬が得られる。と誰かから聞いた事があります。
世界をより良い方向に導くためには、良い教育を提供すべきであり、そのための環境が必要になります。

急速に人口が増える環境の元で、どの様にして、質が高く、誰もがアクセスできる教育環境を提供するかが、課題解決のポイントになると思われます。日本でやっているプログラミング教育だとか、早期英語教育なんてのは、教育上のトッピングの話であって、教育するためのインフラをどう作るかが、我々が2100年に向き合うためにすべき事だと私は考えています。(もちろん、2100年に向けて、どの様な人材が求められるか、というグランドデザインをベースとした教育のプログラム開発の必要性は理解しています)

以前、某米国の財団の方より、アフリカで彼らが展開する教育プラットホームビジネスについてレクチャーを受ける機会がありました。

「単に教材を電子化しましたー」という日本の教育ベンチャーとは全く違う次元で、根本から教育のインフラを作り上げるという仕組みには唖然とするばかり。

そのプラットホーム的なビジネスモデルはどうやって思いついたの?と聞くと「日本の公文式」とのこと。

また、日本人はやられてしまいました。プロダクトは作れるが、プラットホーム化ではいつも負けるのが日本の持ち味なのかしら。

現在の日本の学校教育には多くの問題がありますが、一方で日本独自のお宝が隠れているはずです。そのモデルを展開する事によって、商いを通じて2100年の教育環境を解決する道が見えてくるのではないかと考え、日々、外から日本の教育を観察する日々です。

 

ダラダラと与太話になってしまいました。

未来を予測し、未来の人々が困るであろうことを、現代に遡って解決する商いを作ること。
100年続く企業を最も輩出している日本人として、私も100年続く商いをすべく、日々努力して参ります。

”おいしい”って何?

週替わりコラム、今週は中村より、前回に引き続き「食」をテーマにお届けします。

 

食に対する人の好みは十人十色、味覚は体調やシチュエーションで様々に変化するので、ものすごく捉えにくいものだと思うのですが、それを科学的に捉えられたらいいな、、、と思っていたところ、こんな数式をみつけました。

 

簡単に解説します。(伏木亨龍谷大学教授の説を中村なりに解釈しました)

 

生理的な味覚

これには大きく分けて2つあるらしいのですが、ひとつ目は「生理的な欠乏を補うものはすべておいしい」のだそうです。たしかに、のどが渇いていれば水ですらおいしいし、逆にどんなにおいしいものでも満腹状態だと要らないですよね。

もうひとつは「脳の報酬系を刺激する、快楽を刺激するものはおいしい」。具体的には、油と糖など。そういえば、先日「肉が食べたい」と思い立ち、家族でステーキ屋さんに行ったのですが、2歳のムスメは脂の滴るステーキを貪って身体を震わせてました。

 

生まれ育った食文化に依存する味覚

これは、「食べ慣れたものはおいしく感じ、食べ慣れないものには違和感がある」という感覚。日本でいうところの納豆、私が以前駐在していた台湾でよく食されている臭豆腐などは、その国の人は大好きだけど、異文化の人が食するのに抵抗感ある食べ物の典型例ですね。この”食文化に依存する味覚”には匂いが影響しているのだそうです。匂いの記憶は正確で経年劣化が少ないらしく、嗅覚による食の体験の積み重ねがそのひとの”食文化”となるとのこと。

 

情報による(バイアスのかかった)味覚

情報によっても、おいしさは大きな影響をうけます。有名レストランでは、空間や食器、食材の説明も含めて食事を愉しんで、おいしいと感じます。これは、視覚情報、知識などを総合的に情報を消費している状態。逆に、いまのわたしに”あるある”なのですが。そうしたコンテキストを理解せずに行くと、費用に見合ったおいしさは得られない、ということもあります。また、ワインなどを学んで愉んだり、さまざまなお店を経験してそれぞれの違いに気づいたりするのも、このひとつと言えます。

 

このフレームに沿って考えると、この3つの要素がそれぞれに影響するのですが、結局のところ、どの要素の係数を自分は重視しているのか?を自覚できないという問題に突き当たります。この点は、個人差の現れるところのようなのですが、もっともっと深掘った研究調査が必要のようで、今後解き明かされていくことを期待します。

 

一方で、X3(情報による味覚)は、情報量を増やすことで鍛えることができる=いままで以上に”おいしい”状態になれるということには変わりないハズ。ということで、cの係数がゼロじゃないことを信じて、圧倒的情報不足を脱却すべく、まずは学びあるのみと心を新たにするのでした。

 

 

最後に、恒例の(?)11月に食べ歩いたお店と、それぞれのお店でのベストひと皿をご紹介します。 みなさんの美味しいLIFEのご参考にぜひ!

カウンセリングと心理学

今週のコラム担当の江尻です。

今週末のキャリコン国家試験に向けて、ただいま缶詰勉強中。。。につき、「カウンセリングと心理学」についてちょっと書いてみますね。

これまでコーチング、NLP、キャリアカウンセリング、など人との対話を通じて相手に良いインパクトを与えられるようなスキルを勉強してきたわけですが、色々勉強してわかったのは、どの手法にも根底には心理学者が考案した色々な手法や論拠が活用されているということ。このあたり、まったく無知だったわたし。。。。素直に感動。

例えば、カウンセリングの教祖さんみたいなロジャースの来談者中心療法(パーソンセンタードアプローチ)なんて、コーチングの「相手の能力を信じる」みたいなところにしっかり共通性があるようだし、コーチングやNLPの視点を変える・選択するというのは、心理学でいう認知療法というのが取り入れられている模様(プロではないので断言はしないが)

あと、世の中で行われているグループワークやセミナーには、ほぼほぼ国分康孝の構成的グループエンカウンターという方法が使われている気がする。(名札をニックネームにするとか、リーダーの役割とか)

一番気に入ったのは、認知行動療法を提唱したパールズさんのゲシュタルト療法。これは、全く前提をおかずに、コーチングで言うところの「今この瞬間」をしっかり捕まえてカウンセリングを行っていくもの。また、このパールズさんの「ゲシュタルトの祈り」という詩がとっても良かったので、ここで紹介しますね。これ、エマソンの「自己信頼」にも通ずる強烈な自己認知があって、気に入りました。

GESTALT GEBET

ゲシュタルトの祈り

Ich lebe mein Leben und du lebst dein Leben.
私は私のために生きる。あなたはあなたのために生きる。

Ich bin nicht auf dieser Welt, um deinen Erwartungen zu entsprechen –
私は何もあなたの期待に応えるために、この世に生きているわけじゃない。

und du bist nicht auf dieser Welt, um meinen Erwartungen zu entsprechen.
そして、あなたも私の期待に応えるために、この世にいるわけじゃない。

ICH BIN ich und DU BIST du –
私は私。あなたはあなた。

und wenn wir uns zufallig treffen und finden, dann ist das schön,
でも、偶然が私たちを出会わせるなら、それは素敵なことだ。

wenn nicht, dann ist auch das gut so.
たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。

Frederick Perls
フレデリック・パールズ

(出典:http://www.ieji.org/archive/das-gestalt.html

 

コーチングやNLPではこのあたりの裏付けを教えてくれなかったんだけどキャリコンは国家試験だけあって、きちんとこのあたりの心理学の裏付けを勉強しないと試験にとおらん。。。。というわけで必死に覚えている。。。

脳が爆発しそうだ〜

更に言うなら、それぞれの団体でカウンセリングの手法が違うので、僕の脳は更に混乱中!!! なんか、同時に2−3の外国語を習っているような感覚。。。しっかり切り分けできるように頑張ります!

ではこのあたりで、勉強にもどります。あしからず。。。。。

安全第一

今月の月次投稿のテーマ「趣味」

なんとなく自分もそのテーマで書いてみようと思って、実はほぼ書き終えたんだけど、結構、自分が普段話していることなのであまり面白くないかなぁ、という気もしてきたので書き直してみる。

今回はちょっとした自己紹介もかねて、あまり普通の人が体験してこなかったことの話を書いてみよう。

ちょうど今から10年くらい前の2008年から、自分の人生のなかでちょっとした急ハンドルを切って、平和学とか紛争解決学というジャンルの勉強や、その後に、紛争を経験した場所での民族和解の支援といったことを仕事にするようになった。

その時くらいから、一般的には治安があまりよくないと言われているところにも行くことになったけど、さりげに自分は今まで危ない目はもちろん、何かモノを盗まれたりしたことがないんだよね。

もちろん、ただただラッキーという要素もあるのだろうけど、やっぱりそういったことが起きづらい行動もしているんだろうな、と。

同僚で出張に行くたびに何かに巻き込まれている、というか引き寄せている人もいるし笑

そんな自分が今までに受けた研修でおもしろかったのは、「正しい捕虜の捕まり方」とでも言える研修。正式名称は、Safety in the Field。トップの写真はその時のもの。

タイの国軍の訓練キャンプを借りての安全管理研修は、無線の使い方、検問のシュミレーションや、移動中に拉致られて尋問される、といったフィールドワークがセットになったもの。

模擬地雷原を歩いてみる、という課題もあったり。地雷の模型を見ながら、このタイプの対人地雷はもっとも殺傷能力がヤバいので気を付けましょう、とか。

いつ使うんだ?この知識、とか思いながら。

その後しばらくして見たテレビドラマの24で、同じ地雷が使われていて、あ、そこリアリティにこだわってるんだ、とか思った記憶も。

あとは、よくこれもテレビの無線通信で見るAlpha, Bravo, Charlie, Delta, Echoといったアルファベットのスペルの正しい読み上げ方を練習させられたり。これは、たまに海外の人と電話とかでメールアドレスや、名前のスペルを伝える時にちょっとだけ役に立つ(笑)

地雷原のヤバさを体験する練習と同じレベルで、絶対にこの状況になりたくないなーというのは、「300mの距離からライフルで狙撃されている時に、自分の方向に向かって撃たれている場合と、自分とは違った方向に撃っている時の音の違いを覚えろ」というもの。確かトレーナーは、supersonic soundとか呼んでいたと思う。確かに、実際に(安全な場所で)自分の方に向かって撃たれてみると、確かに違った。でも、この経験を生かす状況が現実になったら最悪だ。

一度、南スーダンのジュバにいた時に、夜中に発砲音を聞いた時は、ちょっとだけ、この時のトレーニングを思いだした。まぁ、その時は、単に兵士がふざけて発砲していただけだと思うけど。

トータルとして、このトレーニングを受けてわかったことは、ヤバい状況にまでなるようなことになったら、もうどうにもならない、という至極あたりまえのことを再確認。ただの民間人な自分にはどうすることもできない状況になる手前で、回避行動をとることが大事、ってこと。

あと、たぶん自分が危険な目にあったことがないのは、low profile。目立たないようにするってことが大きいのかな、と。まぁ、アフリカとかに行けば東洋人というだけで目立つけど、後はシンプルにお金を持ってなさそうな見た目にすること。これってやっぱりお守り的な効果は大きいと思う。

最近おもしろかったのは、自分は東アフリカから横移動で西アフリカに行って、その時に日本から直接やってくるうちの社長と西アフリカのベナンで待ち合わせをした時のこと。特にうちの会社は、私服でユニフォームなんてないのに、空港に迎えに行っていた自分も、日本からやってきた社長も、黒い半袖のシャツに、グレーのワークパンツ、キャップにヒゲづらという同じスタイルだったこと。あ、同じ思考回路で行動してる(笑)

出張時の正装モード(笑)

研修の時にトレーナーがいいことを言っていて記憶に残っているのが、「あなたたち自身の安全を確保することが一番大事です。仮にあなたたちに何か被害があったら、あなたたちがやりたくて活動していることを続けるのが難しくなるのは容易に想像がつくでしょう。だったら、短期的な損得で危険を冒すことにメリットはなく、自分がやりたいことを続けるためにも、安全に活動して、そしてちゃんと帰ってくることでやりたいことを続けましょう。」と。

やりたいことを続けるには、安全第一!

ではでは、また。

脇坂

酒と私

週替りコラム、テーマは酒と私だそうだ。

酒を飲むのも仕事のうちという中華圏において10年近くを過ごした経験があるので、誰もが私は大酒飲みの様に思っている様だが、実はそうではない。

下戸という訳ではないが、非常に顔に出やすい質である。両親が北海道生まれで、元来肌が白いからであろう。

実は大して飲んでもいないのに、頬が茹で蛸の様に紅潮するからだろうか、こいつは相当飲んでると思われ盃が回って来ない事も多い。本人はもう少し飲んでもいいのにと思っている最中であるから、人生思うように行かないものである。

思うように行かないという経験は、酒にまつわる失敗談が多い様に思う。

酒に酔い、理性を失い、野生となるからであろうか。

北京といえば白酒である。

羊と言えば白酒である。

そして、真冬と言えば白酒である。

ある時、腹蔵無く語り合える友人と、真冬の北京で羊の串焼きを食べる機会があった。

件の三要素が揃うという事は白酒である。

当時、金も無い若者であったため、羊を出してくれる回教徒(中国国内のムスリム)が経営する店に、スーパーで買い込んだ格安の白酒(500mlで100円)を持ち込んで羊を食べつくすという、アラーが聞いたら卒倒する様な宴を設けた。

最初は友人のペースであったが、途中から私が逆転。その勢いに押されたのか、何故か彼の従兄弟という男を呼びつけ、日中対決の様相である。彼が従兄弟を呼びつけた刹那、彼は野生を取り戻したのであろう。

中国人が最も大事にするという面子を捨て、何としても私を酔い潰そうとしているのである。

日本人のペースで飲んだら負ける。なので、酔い潰してしまえ。

白酒の乾杯は、人間関係を再確認するプロトコルだ。

何かと理由をつけて、共に盃を飲み干す。

野生を取り戻しつつある彼の乾杯の理由は、その乾杯の数と共に理性を失いゆく。

君の健康に乾杯から始まり、会ったことの無い彼の両親の健康を祝い、私の未来の嫁の健康を祝い、毛沢東思想を祝い、日中の友好を祝い始める。

祝う事が無くなると、辺り構わず盃を捧げる。猫に乾杯、箸に乾杯、白酒に乾杯、乾杯に乾杯。

もう完全に意味不明である。

気がつくと3人で500mlのペットボトル白酒を8本位空けた時だろうか、足元が妙に滑る事に気がついた。

何かと思うと、友人の従兄弟が失禁しながらも酒を飲み続けているのである。

流石に不味いと思い、携帯で車も呼ぼうにも、指が動かないのである。

そこで私の記憶は途切れている。

鼻を付く消毒薬の臭いで目を覚ますと、病院のベッドで川の字に三人が並んている。

看護士の説明だと、三人が卒倒したため、回教徒のオーナーが病院に運んでくれたのだという。

非常に失礼な事をしたものである。まあ、そのまま店に放っておいても、凍死されるだけだから厄介払いしただけなのかもしれないが。

その後、強烈な二日酔いに数日付きまとわれることになる。

二日酔い以上に困ったのが、栄養失調である。アルコールで胃腸がやられたのか、食べたものが消化されず、そのままの色で排出されてくるのである。全く体内で吸収されないため、数日は点滴で栄養を補給するハメになった。

今思うと、胃洗浄や透析をする事にならないで良かったと思う。

月日が経ち、それぞれ年齢と分別を伴う様になったためか、鯨飲する事は無くなったものの、たまに顔を合わせると、やはり白酒となってしまう。

しかし、中国の昨今のご時世、酒への風当たりは強まっているらしい。

酒飲み日中対決の決着が付けられなかった彼は「あの時のアラーのせいだ」と言っている。

石畳の奥から聞こえる二胡の調べと同様に、

胡同の片隅の羊屋から乾杯の連呼はもう聞こえないのだろうか。

人助けとおカネの関係

週替わりポストの4番目、小さい頃から「ヒトの役に立ちたい」という思いがどこか心の中にいつもあったHagiです。

小学生や中学生の頃は漠然と「人を助けれるようになりたい」と思っていて、自分の為だけに生きてると向上する意欲が持続しない自分がいました。勉強でも一番になれない、運動でも一番になれない、でも何かを目指して生きていきたいなぁ、と漫然と思っていました。海外で活躍する慈善活動されている方などがテレビ番組で取り上げられていると食い入るようにみて、「僕もこんな風になりたい」と思っていました。

しかし… 大学を卒業し社会人になって自分で生き始めると、お「カネ」に振り回されてはいけないと気付くのと同時に、お「カネ」のありがたみも知ります。

活動するための自由な「時間」と「カネ」がないと人助けはあまり出来ないと実感するようになりました。ボランティア組織を作っても、お「カネ」がないと自分自身や自身の家族も食わせていくことが出来ない、あるいは、結局、基金や組織などの他人様の財布から「カネ」を拝借して活動資金を賄うしかない、など綺麗事でない世界を目の当たりにします。

自分のお「カネ」に多少余裕がないと、他人を助けることなんて出来ない、と思うようになりました。

お「カネ」儲けは悪いという風潮が日本にはあるような気がします。ただ、今の社会、付加価値を付けた「モノ」でないと、対価を得るのがどんどん難しくなってきています。知恵を絞ってリスクを背負って商売しないと、最低限の対価すらえれず商売を継続するのが難しくなってきています。身体が動く限り懸命に働き、キャッシュを生み出し、身近で身の丈にあった「ヒト助け」から始めてみる・・・そんな生き方もあるんだ、と思うようになりました。

「??という国(地域)の生活を豊かにするんだ!」と身勝手で押し付け的な大言壮語することより、身近な「??君(さん)を助ける」の方がよっぽど現実的で役立つことに気付くようになりました。

自分?家族?趣味?余暇?など、それぞれ人生のプライオリティがあると思います。生活をしていく上で、お「カネ」との距離感は重要だと思います。「好きなこと」を進めていく上で、お「カネ」とのバランスで「犠牲」にしないといけないこともあると思います。

皆さまはお「カネ」と「やりたい事」のバランス~どんな風に考えていらっしゃいますか?

 

ミシュラン三つ星店に行ってみた。

週替わりポストの3番手は、9月より事務局に加わった中村からです。どうぞよろしくお願いします。

10月から飲食業界に飛び込んだ私のいまの関心事は、もちろん「食」です。普段は蕎麦が好きで食べ歩く程度で、星のつくようなお店に行く機会などない庶民派ですが、この業界に入ったならば、日本の食の最高峰を体験したいなぁと思っていたところ、偶然にもミシュラン三つ星で予約の取れないレストラン”カンテサンス”にて食事をする機会ができました。その時のお話をさせてください。

 

とにかく、少なくとも日本ではこうしたレストランには行ったことのないわたくしにとって、強烈なレストラン体験でした。

実際に行って感じたことは、ものすごく哲学に溢れているということ。ペーペーの私がどれだけ理解できたのかは謎ですが、食事自体が美味しくて大満足で、想いが詰まっているのは当然なのですが、それに引けを取らず、食の道を極めた人がこだわり抜いて最高の体験ができるよう、さまざまなところに配慮と演出が尽くされている点に衝撃を受けました。

  • 決して交通の便が良くない北品川という立地
  • その中で、高級感と期待感を高めるエントランスとウェイティングスペース
  • お品書きの書いていない白紙メニューとそこに込めた想い
  • 旬の素材を使ったおまかせコースのみの提供
  • 食事を際立たせるためのシンプルな食器
  • 3週間経った今でも、鮮明に覚えているひと皿ひと皿
  • より一層美味しさを感じさせてくれるストーリー
  • そして、最後にオーナーシェフ岸田さん自らのお見送り

※食事の内容は、是非とも実際にお店を訪れてご体験してみてください

 

一方で、知らないが故に、満たされなかった部分があるのもしかり。知れば知るほど、もっともっと愉しめるのだろうなということ。

 

ますます、今後の食べ歩きが楽しみになりました。

 

 

最後に、10月に食べ歩いたお店と、それぞれのお店でのベストひと皿をご紹介します。

みなさんの美味しいLIFEのご参考にぜひ!

  1. 広尾 三合菴(そば)│せいろ
  2. 北品川 カンテサンス (フレンチ)│ 山羊乳のバヴァロワ
  3. 藤沢本町 蕎麦ひら井(そば)│天ぷら(揚げ具合が絶妙)
  4. 世田谷 石はら(そば)│せいろ
  5. 銀座 流石le蔵(そば)│冷やかけそば
  6. 三軒茶屋 床島(焼鳥)│白子の燻製
  7. 代々木上原 割烹一楓(割烹・小料理)│山わさびとゲソを添えて
  8. 千歳船橋 そば一仁(そば)│田舎十割せいろ